教育・研究の特色

琉球大学医学部は、わが国で最も新しい国立大学医学部として昭和54年に設置されました。その13年前に医学部の前身である保健学部が設置されております。現在では、医学部に医学科と保健学科が、大学院には医学研究科(修士課程、博士課程)、保健学研究科(博士前期課程・博士後期課程) が設置されています。また、平成22年度から大学院医学研究科が大学院講座化され、医学科教員は大学院教員になりました。今後、令和7年の移転に合わせて、国際性・離島の特性を踏まえた沖縄健康医療拠点形成を目指しています。具体的には、高度医療・研究機能の拡充、地域医療水準の向上、国際研究交流、医療人材育成を行います。

教育においては、高い倫理観を備えた質の高い医療人の教育・養成を目指し、医学、保健学、医療技術学に関する普遍的な教育を実施しています。島嶼県沖縄の地域医療を充実させるため、平成21年度から沖縄県と協力して沖縄県出身の学生を地域枠として医学科に受け入れ、離島地域病院実習を含む地域医療教育に力を入れています。一方、国際医療の場でリーダーシップを発揮できる医療人材を養成するために海外での臨床実習を導入しています。その結果もあり、平成30年に日本医学教育評価機構(JACME)から評価基準に適合との認定を受けました。さらに、大学院研究科では沖縄の地域特性に根ざした医学・医療の課題を解決する研究者、指導者を養成するための教育・研究を進めています。

研究面では、がん、脳疾患、循環器疾患などの先進的な研究に加え、わが国で唯一の亜熱帯気候下に位置する島嶼県という沖縄の地域特性に根ざした特色ある研究に力を入れています。具体的には、熱帯・亜熱帯環境下での感染症研究、長寿県沖縄の復興を目指す長寿医学、急速な生活習慣の変化にともなう代謝疾患、生活習慣病の予防、狭い婚姻圏に由来する遺伝性疾患、琉球列島の成り立ちと関連した人類遺伝学、東南アジア地域での国際保健などの領域で活発な基礎的・臨床的研究を進めています。さらに、平成27年度は、沖縄県の再生医療中核拠点としての再生医療研究センターを新設し、再生・発生分野の研究を進めています。

診療面では、琉球大学病院は沖縄県で唯一の特定機能病院であり、エイズ診療拠点病院、がん診療連携拠点病院、肝疾患診療連携拠点病院などの指定、骨髄移植センターの設置により感染症やがん、心臓・循環器疾患、肝疾患、肝移植や骨髄移植などの高度医療を担うとともに、離島医療を含む地域医療の充実にも寄与しています。また、卒後臨床研修病院としてRyuMICプログラムを推進しており、他の病院群では出来ない臨床研修プログラムを提供しています。特に県や医師会などと協力して、オール沖縄の観点から「おきなわクリニカルシミュレーションセンター」を平成24年3月に開設しました。同センターは、多彩なシミュレーターや医療機器を保有しているため、基礎から生涯教育まで、レベルに応じた教育・研修ができ、県内の医療人や医療系学生が活用しています。また、平成24年度にFIMACC(機能画像診断センター)を開設し、平成26年度には災害医療と救急医療の機能を兼ね備えた救急災害医療棟を新設し、平成30年度に地域災害拠点病院に指定されています。さらに、平成26年度に沖縄県の施策として、医師の地域偏在を解消することを目的に「沖縄県地域医療支援センター」が開設され、医学生や医師のキャリア形成支援や、医師不足病院等への支援を行っています。

社会貢献として、地域住民の健康維持・福祉の充実に多大な貢献をしていることはもちろん、沖縄の生物資源を健康に応用する研究などを通じて地域産業の育成にも積極的に関わっています。また、医学部独自の高大接続授業を進めています。国際交流としては、学部および大学院学生を海外の大学に派遣、AMED等の支援によるアフリカ等での医療協力、台北医学大学等との研究交流を進めています。

教育における特色

医学教育(医学教育企画室)

医学教育企画室は、質の高い医療人の育成および沖縄県の医療水準向上のために、学生指導や臨床実習の企画・実施など医学教育全般に係る業務を遂行しています。室長(併任)の他、専任教員2名と事務職員4名に加えて、15名程度の企画室員(併任)によって構成されています。臨床実習以外に、医療現場におけるコミュニケーション能力や初歩的診察能力の修得を目的として、医学科と保健学科合同でのシミュレーション演習を1年次に開講しています。加えて将来のキャリア・パスについて考える医学概論、チーム基盤型学習(TBL)形式でのチュートリアル学習、患者・家族と直接に接触する各種実習[外来患者付添い実習、体験学習(療養型施設・沖縄愛楽園訪問見学実習)、離島地域病院実習、離島診療所及び海外の大学病院での参加型臨床実習]も担当しています。また学務課と協力して、医学科4年次対象の共用試験(CBT・OSCE)、医学科6年次対象の臨床実習後OSCE(Post-CC OSCE)の実施にも関わっています。日々医学部生と向き合い、学習支援・修学相談等も行い、本学が国際基準に適合した医学教育を提供できるように努めています。

長寿県沖縄の島嶼地域医療人材養長寿県沖縄の島嶼地域医療人材養成(保健学科)

保健学科は国際的視点をもつ地域貢献の人材育成、また沖縄の地域を理解した国際貢献できる人材育成というグローカルな人材育成を行っています。看護師、保健師、助産師、養護教諭を養成する看護コースと臨床検査技師、健康食品管理士を養成する検査技術コースからなります。離島を含めた僻地保健医療、高齢化社会、特有の風土病対策、子供の貧困と母子保健、増加する観光客と移住による外国人といった沖縄県の抱える様々な健康課題を理解し対応できる人材を育成しています。学生は経験豊かな教員陣から広範囲な知識を得る一方、早い時期から地域医療機関での実習を行うことで、高い実践力を養い、地域に根付いた医療が出来るよう実力を蓄えていきます。講義と琉球大学病院の実習だけでなく、地域の病院や保健関係施設での研修を積極的にカリキュラムに導入し、地域貢献の視点をやしなっています。さらに貧困問題・高齢化社会・地球温暖化など同様な課題を書けた東南アジアや太平洋島嶼地域の国々との交流を経て、異文化理解やグローバルな視点から地域問題を考えていく力を養います。

アジア・太平洋地域との学術交流(保健学研究科)

保健学研究科は、人間健康開発学と国際島嶼保健学の2領域で構成されており、沖縄県の社会文化的環境および亜熱帯性自然環境を基盤とした健康・長寿の維持増進および再生に資する研究や、健康資源の解明に関する研究、アジア・太平洋地域の島嶼・僻地・地域保健の課題とその対策に関する研究などのユニークなテーマに取り組んでいます。この2つの領域は互いに融合し、亜熱帯性自然環境を基盤とした研究から得られた成果は、アジア・太平洋・アフリカ諸国での保健医療の増進に寄与するだけでなく、沖縄における異文化理解の力をもった保健医療者としての人材の育成にも貢献しています。

また英語コースによる特別プログラム:Okinawa Global Health Science Programをもつことから、フィリピン、ラオス、インドネシア、中国から多数の留学生を受け入れてきています。この受け入れにはアジア・太平洋諸国の多数の研究機関と交流協定を締結し、共同研究を推進するなかで実現しています。留学生だけでなく日本人大学院生の積極的参加をはかることによって相互学習の環境が整っています。保健学研究科修了生は、各国保健医療機関、WHOなどで施策に携わるなど、グローバルヘルスの分野で活躍しています。

医学研究科・保健学研究科

医学研究科は、近年の医学・医療のダイナミックな変化や社会的なニーズに対応できる自己改新力と生涯持続力を持った優れた人材を育成することを目的としています。博士課程では、健康長寿や新興感染症問題等の沖縄の地域に根ざした問題やES細胞・iPS細胞の確立により近年著しく進歩している再生・発生分野の研究等、研究プロジェクトに対応したコースワーク・リサーチワークを編成しました。修士課程では、この新しい教育課程を取り入れ、博士課程と連携した体系的な教育プログラムを提供しています。

保健学研究科は、1986年に国立大学2番目の保健学専攻の大学院として設置された伝統ある研究科で、数多くの優れた人材を輩出して沖縄県の公衆衛生の向上、保健医療の発展のために多大な貢献をしてきました。2007年に博士課程を設置し、現在の保健学研究科保健学専攻博士前期課程・博士後期課程となりました。本研究科は、心身ともに豊かな健康・長寿に資する高度な研究能力を有する保健学分野の研究者および指導者を養成することを目指しています。修了生からは保健医療機関、行政のリーダーだけでなく、研究や教育に携わる大学教員も数多く輩出しています。

臨床教育(琉球大学病院)

琉球大学病院では「病める人の立場に立った、質の高い医療を提供するとともに、地域・社会に貢献する優れた医療人を育成する。」という理念に基づき、“高い人間性”を持ち患者本位の質の高い医療を提供できる医療人の養成、”高い専門性“や”豊富な知識“に基づく総合力を発揮し先進医療の開発・推進を担う人材の養成に努めています。

沖縄県の医療者育成は全国でも非常に高い評価を受けており、附属病院はその中で中心的な役割を果たしています。医師では、医学部学生には医学教育企画室を中心に臨床実習やクリニカルクラークシップが実践されており、初期研修医に対しては琉球大学病院臨床研修センターによるRyuMIC初期臨床研修プログラムの運営、そして琉球大学病院キャリア形成支援センターは専門医を目指す専門専攻医への琉球大学病院専門研修プログラムの運用のみならずFD企画や復職支援がなされています。琉球大学病院では、地域医療に配慮した多彩な研修プログラムに加え、熱意ある指導者のもと屋根瓦式の教育体制がとられています。また、大学内に設置された全国有数のシミュレーションセンターを用いた研修も教育の質の向上に寄与しています。同時に、看護師、薬剤師、検査技師、放射線技師、リハビリセラピスト、ME技師など、多くの医療職種の教育・研修(琉球大学病院キャリア形成支援センターがサポート)も計画的に実施し、より質の高い医療をチーム医療で実践していけるように努めています。これからの教育は、人材育成だけに留まらず、地域医療の充実、臨床研究の推進、さらに「医療の安全のさらなる向上」に大きく寄与しています。

シミュレーション教育(附属病院)おきなわクリニカルシミュレーションセンター

おきなわクリニカルシミュレーションセンターは、沖縄県の寄付により平成24年3月に琉球大学医学部構内に開設された医療シミュレーション教育施設です。模擬環境を活用することで、医療現場での実践前に手技に習熟する、突発事態への対応とチームワークを予め練習しておくといったトレーニングを通じて、沖縄県内の医療水準の向上に貢献しています。特に医療安全の確保は病院の最も重要な役割のひとつであり、注力しているところです。

本学の医学部学生の実技演習に加え、当施設の事業として沖縄県内の研修医向けの教育企画シリーズ、シミュレーション教育指導者向けのセミナー、県内小中高校生向けの医療者体験イベントなどを開催しています。また、県内の医療教育機関および医療機関に幅広くご利用いただいています。

開設から8年を経て、年間およそ延べ1万5〜8千人の利用があり、当施設でシミュレーション教育の技能を習得した指導者が県内全域で活躍しています。今後さらに多くの方々に活用していただけるように改善を進めたいと思います。

各種情報については、http://okinawa-clinical-sim.org/ をご参照ください。

研究における特色

川の水から人獣共通感染症の病原体と保菌動物の候補を同時検出

1.病原性レプトスピラとは

病原性レプトスピラは多くの動物に感染する人獣共通病原細菌であります。本菌は、腎尿細管で増殖し尿中へと排出され、ヒトは、尿に汚染された川や土壌との接触により感染します。レプトスピラ症の軽症型の場合は風邪と似た症状を示しますが、重症型の場合は黄疸、出血、肝・腎臓の障害などの症状がみられます。沖縄県での患者発生は他県に比べて多く、河川でのレジャー等により集団発生が起きており、本県の生命線である観光産業へ大きく影響するものとして懸念されています。本症を制御し,対策戦略を計画するには、感染サイクルのキーポイントである環境中のレプトスピラの生態および感染リスクを上昇させる保菌動物の解明が必要であります。しかし、レプトスピラは環境中での濃度が低くいため検出が難しく、また、環境サンプルから菌体を単離・培養をすることも困難です。

2.環境DNAを用いたレプトスピラの検出法の開発

我々は、レプトスピラの生態的特徴を明らかにするために、新規な方法を開発しました。水中に存在する「環境DNA」に着目し、メタバーコーディング法にてレプトスピラが保有する遺伝子(lipL32と16S rRNA)と動物が保有する遺伝子(12S rRNA)をPCRの標的にすることによって、レプトスピラと同時に出現するレプトスピラの保菌動物の候補を検出する技術を開発しました。
具体的には、河川で採水を行い、ろ過により懸濁物を高度に濃縮してから(図1a)、DNAを抽出しました(図1b)。抽出された環境DNAから、レプトスピラと動物の遺伝子をPCR により増幅して、そのDNA配列を次世代シークエンサーという機器で大量解析しました(図1c)。

3.レプトスピラと保菌動物の候補を同時検出に成功

発した方法を用いて、夏季(7月~10月)にレプトスピラ症の発生が報告されている沖縄島の2つの河川で計80検体を解析した結果、病原性のLeptospira alstoniiやL. interrogans、中間型のL. wolffiiなど6種のレプトスピラが検出され、そのDNA配列数が採水時の雨の量と有意に相関することも確かめられました。さらに、同じ環境DNAサンプルを用いて、レプトスピラと同時に出現する動物のDNAを分析したところ、レプトスピラの保菌動物であることが知られるイノシシやオオコウモリなど10種の動物を特定することが出来ました(図2)。これらの動物の中には、レプトスピラとの関係が不明瞭な底生魚類やイモリなども含まれています。しかしながら、これらは保菌動物ではなく、雨による濁流と相関して検出されたに過ぎない可能性もあると考えられます。

以上の研究結果から、レプトスピラ症の予防においては、雨による濁流が見られる川や、イノシシなどの野生哺乳類が生息する付近の水場や泥土を避けるのが望ましいということが示唆されました。また、この研究によって開発された、環境DNA分析に基づくレプトスピラの直接検出と保菌動物候補の推定方法は、沖縄県だけでなく様々な国や地域にも適用できます。現在スリランカとの国際共同研究が進行中であり、スリランカの農業地帯でもレプトスピラ症のリスク評価、保菌動物の管理、衛生環境の改善などに役立てられることが期待されています。この研究は、琉球大学、新潟大学、神戸大学、ペラでニヤ大学の研究者によって行われたもので、細菌学、DNA分析学、生命情報科学、生態学の専門家など様々な分野の研究者が共同研究することによって実現しました (Sato et al, Scientific Reports, 2019)。


血管老化に関する臨床疫学研究

琉球大学病院第三内科が専門とする循環器・高血圧・腎臓・神経疾患は、一つの臓器ではなく全身の血管病を背景として発症することが多く、心・腎・脳ー血管連関とも呼ばれています。「人は血管とともに老いる」という言葉の通り、加齢は、粥状動脈硬化(血管が狭くなる)や動脈スティフネス(血管が硬くなる)の最大の危険因子で、有効な治療法はまだありません。当講座では、血管老化の病態や治療法解明のために臨床疫学研究に取り組んでいます。

1.足の血圧でわかる粥状動脈硬化

上腕血圧が高いほど脳心血管病発症が増加します。逆に、足(足関節)の血圧が低いほど脳心血管病発症リスクが高くなります。足の血圧は、同時に測定した上腕血圧との比(ABI)で評価し、足の血圧が上腕より10%以上低下したABI≤0.9になると、下肢動脈は有意に狭窄しています。その場合、全身の粥状動脈硬化が進んでいることが多く、脳心血管病発症率や死亡率が高くなります。我々は、沖縄県の人間ドック受診者(約1万3千人)を対象とした疫学研究を行い、60歳以上ではABI≤0.9の有病率が1%程度で、欧米人の10–20%に比べ極めて少ないこと報告しました(Eur. J. Prev. Cardiol. 2014)。

2.足の血圧でわかる大動脈スティフネスと小動脈硬化

足の血圧が高くても通常は問題にしません。ABIの正常値は1.0–1.39なので、上腕血圧が140mmHgの場合、足の血圧の正常値は140–194mmHgとなり、その差は50mmHg以上にもなります。はたして、足の高い血圧は上腕とは異なり問題にならないのでしょうか。我々は、50歳まではABIが加齢に伴い上昇することを世界で初めて明らかにしました(Circ J. 2016)。ABIが上昇するということは、収縮期血圧の上昇が上腕より足の方が急峻ということです。収縮期血圧の加齢変化は、大動脈スティフネスの進行と小細動脈硬化が原因と考えられています。そこで、「加齢に伴うABIの上昇は、動脈スティフネスや小動脈硬化の進行を反映し、ABIが高いほど臓器障害が進んでいる」という仮説を立てて検証し、以下のことを報告しました。
ABIが高いほど、
1)蛋白尿の有病率が多い(J. Hypertens. 2014)、
2)無症候性脳小血管病(微小脳出血、ラクナ梗塞、白質病変)が多い(J. Hypertens. 2016)、
3)左室肥大の有病率が多い(論文投稿中)、
4)腎の小動脈硬化が高度で、腎機能が低下している(Hypertens. Res. 2020)、
5)高血圧新規発症が多い(J Hypertens. 2019)、
以上のように、病態生理を考えることで、足の血圧ひとつから大動脈、中型動脈、小細動脈の変化がわかります。足の血圧の方が上腕血圧より病的変化が大きく、より鋭敏な血管老化のバイオマーカーである可能性があります。

3.「塩なし文化」住民における心臓・血管老化に関する研究

洋の東西を問わず文明社会では、収縮期血圧は加齢に伴い上昇します。収縮期血圧の上昇→動脈壁の弾性線維障害→動脈スティフネスの進行→収縮期血圧の上昇、という悪循環に陥ります。しかし、食塩摂取量が極端に少ない(3g/日以下)原始的生活を営む住民は、加齢に伴う血圧上昇がありません。ニューギニア島の中央高地に住むダニ族は、1938年に探検家により飛行機から発見され、初めて歴史に登場しました。現在も食塩摂取量が少なく、食事の大半はサツマイモです。2014年に我々は現地調査を行い、食塩摂取量が2.1g/日(日本人の1/5)、カリウム摂取量が6100mg/日(日本人の3倍)で、収縮期血圧の加齢変化がないことを確認しました。

予想に反して動脈スティフネスは加齢に伴い上昇していました(Hypertens. Res. 2018)。食事療法で血圧上昇の抑制は可能だが、動脈スティフネス抑制のためには別の方法を探索する必要があることがわかりました。2017年の再調査では心エコー検査も行いました。高齢者でも心臓の収縮能は保たれていましたが、拡張能は低下していました。動脈や心臓のコンプライアンスの低下は、収縮能の保たれた心不全、腎硬化症、認知症など高齢化社会で増加している疾患の病態生理に深く関係しています。その解決策を見い出せば、新たな治療法の開発につながります。

「ラクダ科VHH抗体作製技術を活用した低コスト生産性を有する感染症診断・治療薬の研究開発」

抗体は2本のH鎖と2本のL鎖の構成される分子量約150KDaの複雑なタンパク分子で、体内に侵入した抗原を特異的に認識して排除します。ラクダ科動物にはこのような一般的な抗体に加え、H鎖のみの2分子から構成される抗体が存在し、このH鎖抗体の抗原結合部位であるVHH(VH domain of H-chain antibody)は1つのドメインのみで標的抗原に結合する能力を持っています(図1)。このVHH抗体は約12.5KDaと低分子量であることから大腸菌などのタンパク質発現系で迅速に安価大量に生産することが可能です。また、温度・変性剤・pH変化などのタンパク質変性に対して高い耐性を有するなど、非常に安定な構造をしていることから長期保存安定性にも優れています。この様な性質から、現在VHH抗体は医療分野での活用は勿論のこと、電気機器などに組み込むバイオセンサーとしての応用も進められています。

一般的にVHH抗体を得るためには、大動物であるアルパカやラマなどのラクダ科動物に標的抗原を、複数回、時間を空けて免疫することが必要です。さらに、動物の飼育、免疫抗原の調整、都度のライブラリー作製等、高いコストと長い期間を要します。そこで寄生虫・免疫病因病態学講座では、動物免疫を必要としないVHH抗体作製法として、予め膨大な多様性を有するVHH抗体ライブラリーを作製し、少量の抗原のみを使用するスクリーニングにより、迅速にVHH抗体が開発できるシステムを構築しました。これは、11頭のアルパカ由来の血液から、約1億種類のVHH抗体遺伝子をPCRにより増幅し、このVHH遺伝子を前半部分と後半部分の2つの遺伝子に分離し、改めてランダムに結合させることで、計算上、約1京の新規VHH抗体遺伝子を生み出しました。最終的に、これを基に約200億種類のVHH抗体ファージディスプレイライブラリーを作製しました(図2)。

標的抗原に対するVHH抗体の取得は、パニング法と呼ばれるスクリーニングで行います(図3)。このパニング工程を2~3回繰り返すことで結合性ファージを濃縮した後、単クローン化を行います。本工程は6~10日で完了することから、微量の標的抗原さえあれば10日以内にVHH抗体が開発できます。実際、既に本法により、Ebolaウィルス、インフルエンザウィルス、ノロウィルス、新型コロナウイルスなど多種多様な標的抗原に結合するVHHクローンの単離に成功しています。さらに、ライブラリーを過酷な条件下(例:高温、変性剤等)でスクリーニングを行うことで、100度の熱処理や3M尿素存在下でも抗原に結合する超安定性VHHクローンが単離できるシステムも構築しました。

現在、これらのVHH抗体を用いた迅速簡易診断キットの開発を始め、VHH抗体を複数連結することで多特異性を発揮する抗体の開発、さらには、CAR-T細胞療法への応用や、癌化した組織など特異的な部位に薬剤等を運び込むドラッグデリバリーシステム(DDS)への応用を進めています。

成人T細胞白血病リンパ腫の新規バイオマーカーの発見

1.成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)について

ATLは、ヒトT細胞白血病ウイルスI型(HTLV-1)を原因とする血液悪性腫瘍です。HTLV-1キャリアは世界の中でも九州・沖縄に最も多く存在しており、ATLもこれらの地域に一致して発症しています。2008年度〜2010年度の厚生労働省科学研究班の全国調査では、全国のキャリア数は約108万人と推定されています。HTLV-1キャリアが生涯にATLを発症する割合は約5%で、大多数のキャリアは病気を発症することはありません。しかしながらATLを発症すると治癒は困難で、中でも急性型、リンパ腫型の高悪性度タイプはの生存期間中央値は8-10ヵ月と極めて予後不良です。ATLの治療成績向上を目指して、HTLV-1キャリアにおけるATLの発症危険因子を探索するための研究が行われ、高HTLV-1プロウイルス量などが示されていますが、明確に発症を予測する因子は分かっておりません。

2.沖縄HTLV-1/ATL研究ネットワークおよびバイオバンクの構築

沖縄県はHTLV-1キャリア割合が高く、ATL発症の多い地域です。2012年から沖縄県の中核病院を結ぶ沖縄HTLV-1/ATL研究ネットワークが設立され、その調査で県内に高悪性度ATLは年間約70例が発症していることが明らかになりました。そして沖縄県独自のATLに対する研究を推進していくため、HTLV-1キャリアおよびATL患者の生体試料および臨床情報を集積する沖縄HTLV-1/ATLバイオバンクが構築され、現在試料の数は500を超えています。

3.ATLの新規バイオマーカーを見出すための研究

琉球大学医学部保健学科血液免疫検査学分野、大学院医学研究科内分泌代謝・血液・膠原病内科学講座(第二内科)、免疫学講座、細胞病理学講座と日本電気株式会社(NEC)との共同研究チームは、ATLの早期診断をもたらす新規バイオマーカーの同定を目的として、SOMAscan (SomaLogic社、コロラド州、アメリカ)を用い、沖縄HTLV-1/ATLバイオバンクの血漿検体HTLV-1キャリア群、ATL患者群40ずつについて、1305種類の蛋白のプロテオーム解析を行い、両群間で比較検討しました。その結果333種類の蛋白で両群間に著明な差を認め、HTLV-1キャリアに比べATL患者で上昇していた210種類のタンパク質の中から、特に差の大きいタンパク質に注目し、ELISA法を用いた検証実験を行いました。そして可溶性tumor necrosis factor receptor 2 (TNFR2)がHTLV-1キャリアでは正常値であるのに対して、ATL患者、特に急性型において著明に上昇していることが判明し、ATL診断の新規バイオマーカーを見出しました。tumor necrosis factor(腫瘍壊死因子: TNF)はサイトカインで、その一種のTNF-αは固形がんに壊死を生じさせるサイトカインとして発見され、それ以外に発熱、炎症、細胞死の誘導、腫瘍発生、ウイルス複製の阻害などの生理作用を有していることが知られています。そしてTNFR2はTNF-αの受容体の一つで、いくつかの腫瘍で増殖に働きます。可溶性TNFR2は、TNFR2が細胞表面から離脱し血中に流れ出たもので、今後ATLの発症予測、早期診断、予後予測因子となるか、臨床的意義を探索する必要があります。またTNFR2が細胞表面から離脱する機序の解明も重要な課題です。その機序の解明が新規治療法の開発に繋がる可能性があると考えています。