新任教授のご紹介~大学院医学研究科 消化器・腫瘍外科学講座 高槻光寿 教授~

本年7月1日付で消化器・腫瘍外科学(第一外科)の教授を拝命しました高槻光寿と申します。どうぞよろしくお願いします。

私は大分県の佐伯市上浦町という宮崎県との県境、人口2000名ほどの小さな町で生まれ育ちました。高校は佐伯鶴城高校という知る人ぞ知るスポーツの名門校で、広島カープの前監督である野村謙二郎氏が私のふたつ上の先輩で、私の同級生は大分県代表として甲子園ベスト8(!)でした。ちなみに私は柔道部でしたが、、、。沖縄は全くの初めての土地ですが、特に琉大周辺は私の故郷を思わせるような原生林や自然が多く、親近感を覚えております。

大学は長崎大学医学部に進学し、「病気の人を自らの“手”で治したい」という思いから外科医の道を選択しました。当時は現在のようなスーパーローテートによる研修期間はなく、就職と同時に専攻科を決めるシステムであり、移植・消化器外科に入局し、一般消化器外科の修練を積んでおりました。そして医師になって4年目に突然「長崎大学でも生体肝移植を始めるので、京都大学に勉強に行け」と言われ、当時から最も生体肝移植を施行していた京都大学移植外科に派遣され、世界的にも著名な田中紘一先生のもとで非常に厳しい指導をいただきました。当時の京都大学は全国から私のような立場で派遣されている若手医師が大勢おり、多忙ながらもワイワイと楽しく仕事しておりました。その後、おもに肝胆膵外科を専攻し、長崎大学で生体肝移植導入などに関わり、2001年(33歳)より今度は台湾の高雄長庚紀念病院外科に留学して2年間、みっちりと肝臓外科の手術を勉強しました。この施設にはアジアで初めて肝移植を成功させた陳隆肇先生がおられ、日本の医師免許で存分に執刀させていただけました。肝臓のみならずあらゆる手術症例が豊富で、非常に充実した留学生活でした。

長崎に戻ってからは、兼松隆之名誉教授や現在の江口晋教授の指導のもと、自ら手術をこなす一方で後進の育成に努め、臨床・研究・教育の実績が認められ、このたび縁あって琉球大学の指導教員となりました。人生では「よき師」「よき友」に恵まれることが重要です。与えられた環境でベストを尽くせば、自然とよい出会いに恵まれ、充実した人生を送ることができます。全く縁もゆかりもない土地ですが、残りの外科医としての人生を沖縄に捧げるつもりでやってまいりました。ぜひみなさんと沖縄の医療をさらに発展させていきたいと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。