沿革(医学部・附属病院)

昭和40年 8月 佐藤総理が来沖し 「琉球大学に医学部を設置する」 との声明がなされた。
12月 琉球政府内に琉球大学医学部設置構想委員会が設置された。
昭和41年 7月 第一次琉球大学医学部設置調査団が来沖し,「医療の基礎的条件を整備するための基本的態度と医療要員の養成に関する準備的措置要領」が発表された。
11月 第二次調査団が来沖し,次の4原則が確立された。
1.中部病院をインターン指導の教育病院とする。
2.琉球大学に保健学部を新設する。
3.那覇病院を改築し,教育病院とする。
4.公衆衛生の施策を強化する。
昭和42年 1月 琉球政府は,行政主席の諮問機関として,琉球大学医学部設置準備委員会を設置し,教育機能と地域医療機能を併有する新病院建設基本構想を検討した。
5月 本土側施設整備専門部会と沖縄側専門委員会が新那覇病院建設計画について討議し,将来は,医学部教育病院としての機能をもち,当面は保健学部の実習も兼ねた総合病院とすることになった。
昭和43年 5月 琉球大学設置法の一部改正により保健学部が設置された。
昭和44年 4月 保健学部の第一期生59名が入学した。
昭和45年 6月 琉球大学設置法の一部改正により新那覇病院は琉球大学附属病院となった。
昭和47年 5月 本土復帰に伴い琉球大学附属病院は,琉球大学保健学部附属病院となった。
昭和49年 11月 地域医療部,救急部・理学療法部が設置された。
総合病院として承認された。
昭和50年 3月 臨床研修指定病院となった。
昭和52年 4月 琉球大学医学部創設準備室が設置された。
12月 沖縄県解剖体確保推進協議会が結成された。
昭和53年 10月 解剖体保存棟が保健学部敷地内に完成した。
昭和54年 1月 医学部の昭和54年10月設置,昭和56年4月学生受け入れが内定した。
2月 沖縄県は献体組織“琉球大学でいご会”を結成した。
3月 沖縄県は,財団法人琉球大学医学部設置協力会を設置した。
国立学校設置法の一部改正により昭和54年10月琉球大学医学部設置,昭和56年4月学生受け入れが決定した。
昭和55年 8月 本学の関連教育病院 (県立中部病院) について本学学長と沖縄県知事の間で協定を締結した。
10月 大学設置審議会大学設置分科会 (浅田敏雄主査他4名) による医学科実地調査が行われた。
昭和56年 3月 第1回医学部解剖体慰霊祭が解剖体保存棟前で行われた。
4月 保健学部が医学部保健学科に改組。 保健学部附属病院は医学部附属病院となった。
4月 医学部医学科31講座のうち8講座 (解剖学第一,生理学第一,生化学第一,病理学第一,寄生虫学,内科学第一,外科学第一,眼科学)が設置され、 保健学科は4大講座 (基礎保健学,保健管理学,保健医療学,保健技術学) に再編成された。
昭和56年度入学式 (医学科 100名,保健学科59名) が行われた。
10月 医学部開学記念式典並びに祝賀会が開催された。
昭和57年 4月 医学科に7講座 (解剖学第二,薬理学,法医学,内科学第二,小児科学,放射線医学,整形外科学) が新設され,計15講座となった。
昭和57年 10月 基礎講義実習棟,解剖法医棟及びポンプ室が竣工した。
12月 解剖学,生理学,生化学の講義・実習が上原団地で開始された。
昭和58年 2月 基礎研究棟及び保健学科棟が竣工した。
3月 保健学科及び医学科基礎系講座が上原団地へ移転した。
福利棟 (がじゅまる会館) が竣工した。
4月 医学科に7講座 (生理学第二,細菌学,保健医学,皮膚科学,外科学第二,産科婦人科学、 耳鼻咽喉科学) が新設され,計22講座となった。
10月 RI・動物実験棟が竣工した。
12月 臨床講義棟及び附属病院が竣工した。
昭和59年 1月 臨床研究棟が竣工した。
3月 授乳施設が竣工した。
管理棟が竣工した。
看護婦宿舎が竣工した。
附属図書館医学部分館が竣工した。
高エネルギー・高気圧治療施設棟が竣工した。
昭和59年 3月 中央設備機械室が竣工した。
4月 医学科に6講座 (病理学第二,ウイルス学,内科学第三,脳神経外科学,泌尿器科学、 麻酔科学) が新設され,計28講座となった。
医学部及び附属病院の事務部が一元化され医学部事務部となったことに伴い,事務組織が改編され事務部長,事務部次長,4課制(総務課,管理課,学務課,医事課) となった。
昭和59年 7月 7月1日~10月14日,新病院移転・開院準備のため休診となった。
7月1日~8月2日,附属病院が上原団地へ移転した。
10月 医学部施設竣工並びに医学部附属病院開院記念式典が挙行された。
医学部附属病院 (400床) の完成に伴い,診療を再開した。
昭和60年 3月 体育館が竣工した。
多目的運動場が竣工した。
4月 医学科に3講座 (生化学第二,精神神経科学,歯科口腔外科学) が新設され,計31講座となった。
附属病院に第三内科が新設され,計17診療科となった。
附属病院の病床数が 200床増床され,計 600床となった。
6~7月 附属病院の 200床増床に伴い,病棟移転が行われた。
昭和61年 4月 琉球大学大学院保健学研究科 (保健学専攻,修士課程) が設置された。
附属病院に高気圧治療部が設置された。
昭和62年 3月 RI診療棟が竣工した。
4月 琉球大学大学院医学研究科 (博士課程) (形態機能系専攻,生体制御系専攻,環境生態系専攻) が設置された。
7月 タイ国のチェンマイ大学と学術交流協定を締結した。
昭和63年 4月 附属地域医療研究センターが設置された。
平成元年 3月 リニアック診療施設棟が竣工した。
5月 附属病院に輸血部が設置された。
平成2年 3月 附属地域医療研究センター棟が竣工した。
6月 医学科に臨床検査医学講座が新設され,計32講座となった。
11月 医学部開学10周年記念式典が行われた。
平成3年 3月 MRI-CT装置棟が竣工した。
精神病棟 (40床) が承認された。 (一般病床から精神病棟へ)
中華人民共和国の中山医科大学と学術交流協定を締結した。
附属実験実習機器センターが設置された。
平成3年 4月 医学部医学科に3学期制が導入された。
平成5年 4月 附属動物実験施設が設置された。
平成5年 5月 英国医学協会(GMC)より海外有資格医師の限定登録の認可を受けた。
12月 高嶺徳明顕彰碑が建立された。
平成6年 8月 特定機能病院として承認された。
平成7年 4月 附属病院に血液浄化療法部が設置された。
平成9年 4月 附属病院に医療情報部が設置された。
平成10年 3月 附属地域医療研究センターが廃止された。
4月 附属沖縄・アジア医学研究センタ-が設置された。
平成11年 4月 附属病院に周産母子センタ-が設置された。
医学科の入学定員が95名となった。
平成12年 4月 附属病院に病理部が設置された。
保健学科の入学定員の臨時募集が廃止され、計60名となった。
平成13年 4月 医学科に臨床薬理学講座が新設され、計33講座となった。
附属病院に光学医療診療部が設置された。
医学科に第3年次特別編入学(学士入学)制度が導入された。(定員数5名)
平成14年 4月 医学科に救急医学講座が新設され,計34講座となった。
平成15年 3月 附属沖縄・アジア医学研究センターが廃止された。
理学療法部が廃止された。
4月 医学科は34小講座が6大講座 (形態機能医科学,地域環境医科学,病態解析医科学,生体制御医科学,器官病態医科学,高次機能医科学)に,保健学科は4大講座が6大講座(基礎看護学,成人・老年看護学,母子看護学,地域看護学,生体検査学,病態検査学) にそれぞれ再編成された。
大学院医学研究科の3専攻が改組され医科学専攻 (先進情報医科学領域,機能再生医科学領域,環境長寿医科学領域) 及び感染制御医科学専攻(独立専攻) (感染分子生物学講座,分子感染制御学講座,感染病態制御学講座) が設置された。
リハビリテーション部が設置された。
平成16年 4月 琉球大学は国立大学から国立大学法人へとなった。大学院医学研究科修士課程医科学専攻が設置された。
平成17年 4月 事務組織が改編され,事務部長,経営企画監,5課制(総務課,経営企画課,経営管理課,医療支援課,学務課)となった。
平成18年 2月 リハビリテーションセンター(作業療法棟)が竣工した。
10月 大韓民国の延世大学校と部局間国際交流協定を締結した。
モンゴルのモンゴル保健総合大学と部局間国際交流協定を締結した。
南アフリカ共和国のケープタウン大学と部局間国際交流協定を締結した。
平成19年 4月 大学院保健学研究科が改編され,修士課程が博士前期課程に,博士後期課程が新たに設置された。
平成20年 4月 事務組織が改編され,医学部事務部,附属病院事務部〔事務部長,4課制(総務課,経営企画課,経営管理課,医療支援課)〕となった。
平成21年 4月 医学科に第2年次特別編入学(学士入学)制度が導入された。(定員5名)医学科の入学定員が7名増員され(内、2名は9年期限)、計102名となった。
11月 附属病院が沖縄県肝疾患診療連携拠点病院に指定された。
平成22年 4月 大学院医学研究科が大学院講座化(部局化)され、医科学専攻(3コース、講座)、感染制御医科学専攻(講座)に再編された。医学科の第3年次特別編入が廃止された。医学科の入学定員が5 名増員され、計107名となった。附属病院に骨髄移植センターの設置が認可された。
平成23年 1月 附属病院に寄附講座(地域医療システム学講座、地 域医療教育開発講座 ) が設置された。
4月 事務組織が改編され、事務部長、5課制 (総務課、 経営企画課、経営管理課、医療支援課、学務課) となった。
12月 卒後臨床研修センター・血液浄化療法部棟が竣工した。
平成24年 3月 おきなわクリニカルシミュレーションセンターが竣工した。
平成25年 2月 機能画像診断センターが竣工した。
平成26年 2月 台湾の台北医学大学と部局間交流協定を締結した。
3月 フィリピン共和国のフィリピン大学公衆衛生校と部局間交流協定を締結した。
4月 大学院医学研究科博士課程の2専攻を改組し、医学専攻が設置された。(定員数30名)
10月 ラオス人民民主共和国のラオス保健科学大学と部局間交流協定を締結した。
11月 救急災害医療棟が竣工した。
12月 沖縄県地域医療支援センターが設置された。
平成27年 2月 附属病院に救急科が設置された。
3月 附属病院に形成外科が設置された。
4月 医学科の入学定員が5名増員され、計112人となった。

大学院医学研究科にウイルス学講座、臨床研究教育管理学講座が新設され、計42講座となった。

再生医療研究センターが設置された。

附属病院の検査部と輸血部が統合され、検査・輸血部が設置された。

平成28年 4月 附属病院にリハビリテーション科が設置された。
8月 臨床工学室が設置された。
10月 在宅医療推進センターが設置された。
平成29年 9月 超音波センターが設置された。
平成30年 4月 形成外科学講座が新設された。
11月 医学教育分野別認証評価認定を受けた。
令和2年 4月 事務組織が改編され、上原キャンパス事務部(事務部長、総務課、企画課、管理課、医事課、学務課)となった。

 

歴代医学部長・附属病院長

(1)保健学部長 就 任 時 期
松 林 久 吉
(初代保健学部長)
昭和45年9月
松 﨑 吉 彦 昭和48年9月
西 山   勇 昭和50年9月
杉 浦 正 輝 昭和52年9月
照 屋 寛 善 昭和54年9月
(2)医学部長
大 鶴 正 満
(初代医学部長)
 

昭和54年10月

永 盛   肇 昭和62年4月
大 澤   炯 平成3年4月
茨 木 邦 夫 平成5年4月
平 山 清 武 平成9年4月
柊 山 幸志郎 平成10年4月
岩 政 輝 男 平成12年4月
坂 梨 又 郎 平成16年4月
佐 藤 良 也 平成20年4月
須加原 一博 平成23年4月
松 下 正 之 平成25年4月
石 田   肇 平成29年4月
(3)大学院医学研究科長
佐 藤 良 也
(初代大学院医学研究科長)
 

平成22年4月

須加原 一 博 平成23年4月
松 下 正 之 平成25年4月
石 田   肇 平成29年4月
(4)大学院保健学研究科長
大 鶴 正 満
(初代大学院保健学研究科長)
 

昭和61年4月

竹 中 静 廣 昭和62年4月
石 津   宏 平成1年4月
竹 中 静 廣 平成3年4月
宮 城 一 郎 平成4年4月
普天間   弘 平成6年4月
崎 原 盛 造 平成7年4月
石 津   宏 平成10年4月
河 野 伸 造 平成12年4月
外 間 登美子 平成16年4月
高 倉   実 平成22年4月
福 島 卓 也 平成26年4月
小 林   潤 令和2年4月
(5)保健学部附属病院長 就 任 時 期
植 村   操
(初代保健学部附属病院長)
昭和46年7月
田 端 辰 夫 昭和48年11月
桝 屋 富 一 昭和50年1月
鈴 木   淳 昭和51年4月
正   義 之 昭和53年4月
三 村 悟 郎 昭和55年4月
(6)医学部附属病院長
小 張 一 峰
(初代医学部附属病院長)
昭和56年4月
福 田 雅 俊 昭和62年4月
茨 木 邦 夫 平成3年4月
平 山 清 武 平成5年4月
柊 山 幸志郎 平成9年4月
小 椋   力 平成10年4月
金 澤 浩 二 平成12年4月
古 謝 景 春 平成14年4月
瀧 下 修 一 平成16年4月
須加原 一 博 平成20年4月
村 山 貞 之 平成23年4月
國 吉 幸 男 平成26年1月
藤 田 次 郎 平成27年4月
大 屋 祐 輔 平成31年4月